12月4日公演の子育てのお話の質問

母 劇団名入り
小林先生と母と同僚




こんにちは、急に寒くなってきました。12月ですからしょうがありませんね。
4日の公演時の「子育てのおはなし」表題「ともえ学園の先生だった母」の質問を受付いたします。
どんなご質問でも構いませんので、お気軽に聞いてください。
問い合わせからお願いいたします。

ご参考のため、以前のブログをそのまま記載しました。


みなさん こんにちは、 きょうは 昨日と打って変わって 涼しい一日でした。 私事ですが、リトミックのピアノの レッスンに通って2年近く立ちます。

そちらの先生に教えていただいたのですが、
「窓際のトットちゃん」
で有名な「トモエ学園」が、リトミック教育を
日本で初めて取り入れた学校とお聞きしました。
驚きました。 母が生前にそこでリトミックを 指導していたと聞いていたからです。 幼稚園児の教室で先生をしていたようです。
旧姓 高田慶子(やすこ)です。 その話を聞いてから慌てて母の 残していったアルバムの写真を 見てみると、一枚だけ出てきました。 黒柳徹子さんの良き理解者 トモエ学園の小林宗作校長先生 と同僚とご一緒の写真が一枚だけありました。 「やっぱり本当だったんだ」
感動しました。

とてもやさしい母で、私は母が大好きでした。

幼児の時は「お母さんが死んだら私も死ぬ」といった覚えがあります。
また幼稚園の先生をしていた頃の母の写真を見て、
「なんでこんなに沢山の子供に囲まれて写真を撮っているのだろう」
と嫉妬心が湧き出てきたように記憶しています。

いつも優しい朗らかで冷静な母で、ヒステリックに叱られた記憶はありません。

特に心に残る思い出は、私が小学校低学年の時学校の先生に叱られて、しぶしぶそのことを母に報告すると。

「失敗してもいいんだよ。 失敗すれば失敗した人の気持ちが分るでしょう。
失敗のない人はつまらない」とやさしく話してくれました。

わたしは、叱られるのを覚悟で勇気を振り絞って話したのに、このように返されてびっくりしました。また同時にホットしました。

今思うとずいぶん重みのあることを小学校低学年の私に言ったものだと感心しています。

私は、本当に母が大好きで大好きで生きてきました。今でも大好きです。

問題児の私を「トモエ学園」流に育ててくれたことを心から感謝しています。

では また

追伸 どなたか(すでに亡くなられている方が多いと思いますが)母を間接的にご存知でしたらご連絡いただけますか。